未来をのぞける博物館シリーズの第九弾。今回は、東京都にある「都立第五福竜丸展示館」を紹介します。
1954年、ハワイのビキニ環礁で水爆実験が行われました。その時、遠洋漁業に出ていてたまたま近くを通りかかった第五福竜丸は、水爆実験によって降り注いだ放射能を帯びたサンゴ片を浴びたことで乗組員全員が被爆しました。
多くの人が学校で習うだけに事件の背景は知られてはいるものの、その本物の第五福竜丸が都内の博物館に展示されていることはあまり知られていません。
第五福竜丸事件についてのみならず、未来の大きな問題でもある核のテーマについて、当館の展示を通して考えてみたいと思います。
本物の第五福竜丸は江東区にあった

たくさんのバーベキュー場があるほか、東京ディズニーランドの乗り換え地として多くの人が行き交う新木場。その駅前にある夢の島公園に、少し歪な形をした都立第五福竜丸展示館があります。

無料で一般公開されている館内に入ると、建物いっぱいに収められた巨大な木造船である第五福竜丸の船体が、そのままの状態で展示されています。
その姿は実に雄大。
高さ15メートル、全長30メートルにもなり、復元した模型だと思う人も多いそうですが、こちらは紛れもなく本物の第五福竜丸なのです。

現在の大型船の多くは鋼鉄製のものが多く、これだけ巨大な木造船を見られるだけでも大変貴重です。たくさんの木板によって船体が作られている様子や、多くの航海によって剥がれていたり朽ちている生々しい様子も垣間見えます。
死の灰が降りそそぎ全員が被爆

冒頭でも書いたように、1954年3月にマーシャル諸島ビキニ環礁で行われた水爆「ブラボー」の実験により、たまたま爆心地の近くで操業していた遠洋マグロ漁船である第五福竜丸は、強い放射線を帯びたサンゴ片である「死の灰」を浴びることになりました。

その第五福竜丸に降り注いだ死の灰は、ビンに収められた状態で館内にも展示されています。
第五福竜丸に搭乗していた23名の乗組員は全員が被爆することになり、収穫したマグロも強い放射線で汚染され、その一部は東京の築地に廃棄されました。

被爆から半年が経った9月には、無線長だった久保山愛吉さんが40歳の若さで亡くなりました。
久保山さんの容態は日々ニュースとして全国民に伝えられており、全国から激励の手紙が届くほど。その手紙も当館に展示されており、国民の関心事となっていた様子が伺えます。

当館は第五福竜丸の船体を中心とし、その周囲に、事件の概要について書かれたパネルや展示が見られます。
無料で公開されていることから、夢の島公園を訪れた人がふらっと訪れたり、修学旅行の課外学習として全国から年間400校もの生徒が訪れるなど、多くの方が来館されています。
奇跡が起こりゴミ捨て場から博物館へ

そしてそもそも、なぜ第五福竜丸が新木場に展示されているのかが気になるところです。というのも、この船は被爆するまでは東京とは縁もゆかりもありませんでした。
1947年に和歌山県で建造され、カツオ漁船「第七事代丸」として神奈川県の三崎で使われたのち、遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」として静岡の焼津で使われていました。そして被爆をした後は、放射能検査後に実習航海用の練習船「はやぶさ丸」として使われ、その後は廃船処分としてゴミの処分場であった夢の島に捨てられました。

しかし、市民によって保存運動が行われ、最終的には東京都が組み上げる形で夢の島に展示されることになったのです。
水爆実験の被害を受け、学校の教科書にも載るほどの知名度がある船ではあるものの、元々はゴミ捨て場に捨てられていたというのは大変驚かされます。そして、たまたまこの場所に捨てられていたことから現在の展示館があるというストーリーにも驚きです。
核実験の未来について考える
第五福竜丸事件から70年が経過しましたが、水爆「ブラボー」の実験による被害は今もなお続いているだけでなく、核実験というこれからの未来に避けては通れないテーマにも関わるだけに、当館の存在はとても意義があると思っています。

水爆実験の威力は米軍が予想した3倍もの威力があり、直径2000メートル、深さ60メートルものクレーターが今も残っています。
そしてマーシャル諸島では、70年経った現在でも、移住を強いられた島民らがいまだ故郷に帰れず、その見通しも立っていません。水爆実験がどれだけ人類に大きな影響を及ぼすか、改めて考えさせられます。

そして、当館では核をめぐる動きに関する展示もあります。
現在もロシアとウクライナの戦争が続いており、この戦争を語る上でもたびたび核のテーマが議論されています。そして我が国日本でも、これから先の未来、核を持つべきか持たないべきか、たびたび議論が巻き起こるだけに、核というテーマはこれから先の未来を生きていく上で避けては通れないテーマとなっています。
ニュースなどで耳にはするものの、こうした場所で改めて核における現状を目の当たりにすることで、より興味関心が湧きやすくなるはずです。

第五福竜丸は数奇な運命を辿りながらも、奇跡的な流れから縁もゆかりもなかった東京に今も展示されています。水爆実験の被害を被った船体を、今も目にすることができるのは本当に貴重なことではないでしょうか。
それゆえに、多くの方に当館を訪れていただき、そして事件についてだけでなく、これからの核問題について考えるきっかけになればと思います。
博物館に行ってみよう!
第五福竜丸展示館
住所:東京都江東区夢の島2丁目1−1
営業時間:9:30~16:00
休館日:月曜(月曜が祝日のときは開館し火曜休館)
入館料:無料
公式HP:http://d5f.org/