「未来のまち」という言葉を聞いたとき、何を思い浮かべますか?
空飛ぶ車、自動化された建物、センサーに覆われた道路。そういったイメージが浮かぶ人は多いと思います。テクノロジーが都市を変えるという物語は、映画にも雑誌にも繰り返し登場してきました。
しかしその物語は、本当に私たちが住みたいまちの姿を描いているでしょうか。
この記事では、未来のまちという概念を「技術の一覧」ではなく「変化の構造」として読み解きます。2050年に向けて何が変わりつつあるのか、世界の先進事例から何が見えてくるのか、そしてその先に「あるかもしれない暮らし」はどんな形をしているのか、今回はそれらを順番に整理していきます。
未来のまちとは何か

一般的な未来都市のイメージ
「未来都市」というイメージは、長い時間をかけて形成されてきました。1960年代の万博に描かれた「近未来都市」バブル期の「インテリジェントビル」、2000年代の「ユビキタス社会構想」など、それぞれの時代ごとに技術の夢が都市の姿として投影されてきた歴史があります。聞いていてワクワクするのは自分だけでしょうか、、、
これらに共通しているのは、「技術によって都市はより便利に、より効率的になる」という物語です。移動が速くなる、エネルギーが最適化される、情報が瞬時に届く。これらは実際に実現されてきた変化であり、否定するものではありません。
しかし2020年代に入り、この物語だけでは語れないことが増えてきました。気候変動、人口減少、孤独・孤立の深刻化、パンデミックが明らかにした都市の脆弱性など、これらは「もっと効率的に」という方向では解決できない、根源的な問いを私たちに突きつけています。
「未来のまち」という概念は今、技術の先にある、私たちの今までの暮らしの根源に向けた問いを含むものへと広がりつつあります。
未来のまち=スマートシティか?
「未来のまち」を象徴する言葉のひとつに「スマートシティ」があります。スマートシティとは、IoT・AI・データ活用によって都市インフラや行政サービスを最適化する取り組みです。エネルギー管理、交通流制御、行政手続きのデジタル化、これらが主なテーマであり、効率・利便性・コスト削減が主な評価軸になります。
スマートシティは重要な取り組みです。しかし「スマート」であることは、未来のまちの十分条件ではありません。効率的だが孤独なまち、便利だが息苦しいまち、最適化されているが誰も幸せでないまち、そういった未来も、スマートシティの延長線上に描けてしまいます。
未来のまちを考えるとき、効率化の先に「誰のための、どんな暮らしのためのまちか」という問いが必要です。技術はその問いに答えるための手段であって、目的ではありません。
「効率化」だけでは語れない未来
未来のまちを考える際には、効率化の先にある問いを持つことが重要です。
人々がまちに何を求めるか、が変わりつつあります。利便性よりも、居心地。速さよりも、豊かさ。所有よりも、関係。こうした価値観の変化は、都市の設計思想そのものに影響を与えています。
また、「誰がまちの主体か」という問い自体が揺らいでいます。人間だけがまちの主体なのか。AIはインフラとして機能するのか、意思決定の主体になるのか。自然環境はまちの背景なのか、まちを構成する要素なのか。
これらは思想的な問いではなく、都市設計の実践的な問いです。この問いを持っているかどうかで、未来のまちの構想は大きく変わります。
2050年の都市はどう変わるのか
人口動態
2050年に向けて、都市の人口構造は大きく変化します。
国連の推計では、2050年には世界人口の約68%が都市部に居住するとされています。一方で日本を含む先進国では、人口減少と高齢化が都市の縮小をもたらします。「成長する都市」と「縮む都市」の二極化が、国内外で同時進行します。
日本の文脈では、2050年には多くの地方都市で現在の人口の半分以下になる可能性が指摘されています。人が減ることは課題ですが、同時に「どんな密度で、どんな関係性でまちをつくるか」を問い直す機会でもあります。
働き方の変化
コロナ禍以降、働く場所の選択肢が広がりました。この変化は一時的なものではなく、都市の空間設計に長期的な影響を与えています。
オフィスの機能が「個人作業の場」から「協働・関係構築の場」へと移行するなかで、職住近接の需要が高まっています。都市の中心部だけでなく、郊外や地方にも「働けるまち」の条件が整いはじめています。これは都市への一極集中を緩和する方向への変化です。
分散化と再集積
「コンパクトシティ」という概念が注目されています。人口が減少するなかで、行政サービス・医療・商業を一定のエリアに集約し、生活の質を維持するアプローチです。
しかし同時に、分散化の動きも起きています。デジタルインフラの整備によって、地理的な制約が減り、小さなまちでも高い生活水準を実現できる可能性が広がっています。集約と分散は矛盾しているように見えますが、「集めるものと分散させるものを選択する」という設計思想として統合されつつあります。
モビリティ・エネルギーの変化
移動の手段とエネルギーの供給方法は、都市の形を物理的に規定します。この二つが同時に変化しつつあります。
電気自動車の普及、自動運転技術の進展、MaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)の展開——これらは「所有する車」から「利用するモビリティ」への移行を促しています。駐車場が減り、道路の使い方が変わり、都市の空間構成が変化していきます。
エネルギーでは、再生可能エネルギーの分散型供給が広がっています。大規模な発電所から一方的に供給される構造から、地域で生産・消費・融通し合う構造への移行です。エネルギーの自律性が、まちの自律性と重なっていきます。
世界で進む未来都市の先進事例

⚪︎デジタルツイン都市
都市の物理的な状態をリアルタイムでデジタル空間に複製する「デジタルツイン」の取り組みが各地で進んでいます。シンガポールは国全体のデジタルツインを構築し、都市計画・防災・エネルギー管理に活用しています。物理空間での変更を実施する前に、デジタル空間でシミュレーションできるため、意思決定の質と速度が上がります。
⚪︎分散型エネルギー
デンマークのサムソ島は、島全体のエネルギーを再生可能エネルギーで賄う「エネルギー自給島」として知られています。風力・太陽光・バイオマスを組み合わせ、余剰電力を本土に売電するモデルは、大規模集中型から小規模分散型への転換を示す先行事例です。
⚪︎自律モビリティ
フィンランドのヘルシンキでは、公共交通・自転車・カーシェア・タクシーを一つのアプリで統合するMaaSの実証実験が進んでいます。「車を所有しなくても不便を感じない都市」を目指す設計思想は、都市の空間設計にも影響を与えています。
⚪︎ウェルビーイング都市
デンマークのコペンハーゲンは、都市設計の評価軸に「幸福度」を明示的に組み込んでいます。自転車インフラの整備、緑地の配置、市民参加型の計画プロセス「効率」ではなく「幸福」を最適化目標とする都市設計のあり方を示しています。
⚪︎参加型都市設計
台湾では、市民がデジタルプラットフォームを通じて都市政策の議論に参加する仕組みが整備されています。行政と市民の関係が「サービス提供者と受益者」から「共同設計者」へと変化しつつある実例です。
そこから見えてくる「あるかもしれない暮らし」
先進事例は、「技術がこうなる」という情報です。しかしより重要なのは、それが「暮らしにどう接続するか」です。
デジタルツインが普及したまちで暮らすとき、人は「まちを知る感覚」が変わるかもしれません。洪水リスクをリアルタイムで把握できる、工事がどのくらい騒音を出すかを事前に確認できる、行政の計画案に対してシミュレーション結果を見ながら意見を言える、情報の透明性が上がることで、市民とまちの関係が変わります。
エネルギーが分散化したまちでは、「隣の家から電気を買う」という感覚が生まれるかもしれません。エネルギーが目に見えず、遠くから届くものではなく、地域のなかで生産・共有されるものになるとき、まちへの帰属意識や関係性の質が変わる可能性があります。
移動が「サービス」になったとき、車を持たないことが不便ではなくなります。移動のコストと時間が下がると、人はより広い範囲に生活圏を持てるようになります。「住む場所」と「働く場所」と「遊ぶ場所」が一致している必要がなくなる。まちとの関係が、より軽やかで多層的なものになっていきます。
More-than-Human-人間中心ではない都市という発想
ここで少し立ち止まって、問いを置いておきたいと思います。
未来のまちを語るとき、私たちはほぼ無意識に「人間のためのまち」を前提にしています。しかしその前提は、今、静かに問い直されつつあります。
都市は人間だけのための空間なのでしょうか。AIが交通を制御し、センサーが環境を監視し、アルゴリズムが資源配分を最適化するとき、AIはインフラとして機能しているのか、それとも意思決定の主体として機能しているのか。その境界は、思ったより曖昧です。
自然はどうでしょうか。都市の緑地は人間の憩いのための「背景」なのか、それとも都市の生態系を構成する「主体」なのか。この問いへの答えが変わるとき、都市設計の思想そのものが変わります。
「More than Human(モアザンヒューマン)」という概念が、都市設計や建築の分野で議論されるようになっています。人間以外の存在、生き物、AI、自然環境、微生物を都市の構成員として捉え直す思想です。これは思想の話であると同時に、設計の実践として具体化されつつある動きでもあります。
答えを出す必要はありません。ただ、この問いを持っているかどうかで、未来のまちの見え方は変わります。
未来のまちをどう描くか
未来のまちについて考えるための道具は、いくつかあります。
時間軸を持つ——今から2030年、2050年、それ以降へと時間軸を伸ばして考えることで、現在の変化がどこへ向かうかが見えてきます。未来年表はその思考を整理するための実践的なツールです。
方法論を持つ——シナリオプランニング、バックキャスティング、フォーサイトといった手法を使うことで、「ひとつの未来」ではなく「複数のありうる未来」を扱えるようになります。未来予測の手法はその体系を提供します。
姿勢を持つ——情報や手法を持つだけでなく、「変化を観察し続ける」「複数の可能性を手放さない」「問いを持ち続ける」という姿勢が、未来のまちを構想するための基盤になります。
この三つが揃ったとき、未来のまちについての思考は、情報収集から構想へと変わります。
未来のまちを構想するためのデータベース
VISIONGRAPHでは、世界の先進事例を継続的に収集・整理しています。
当社の「未来予報データベース」の構造は3層になっています。第1層は先進事例、今世界のどこかで起きている、まだ一般化されていない変化の断片です。第2層はあるかもしれない暮らし、その先進事例が広まったとき、私たちの日常がどう変わるかを具体的な場面で描いたものです。第3層は社会像、複数の暮らしの変化を束ねたとき、社会全体にどんな輪郭が浮かび上がるかを示すものです。
未来のまちというテーマひとつをとっても、都市・インフラ・モビリティ・エネルギー・自然環境・コミュニティ・ウェルビーイングといった複数のテーマが交差します。データベースはそれらを横断しながら、「まちの未来」を多角的に見渡すための素材として機能しています。
「知りたい未来」ではなく「気づいていなかった未来」に出会うための場所として、活用してもらえると嬉しいです。
→ 未来のまちを構想するための先進事例を探す|未来予報データベースはこちらから
まとめ
未来のまちは、技術の集積ではありません。変化の構造を読み解き、暮らしを想像し、社会像を描くことで、初めて「まちの未来」の輪郭が見えてきます。
2050年に向けて、人口動態・働き方・モビリティ・エネルギーは確実に変わります。しかし変化の方向を決めるのは技術だけではなく、「どんなまちに住みたいか」という問いを持つ人々の想像力です。
まちは、与えられるものではなく、構想されるものです。その構想に、あなたの問いも加わっていてほしいと思います。
筆者の思い|まちを研究対象にしてきて、気づいたこと
都市やインフラを研究対象として見るようになったのは、あるひとつの問いからでした。
「インフラは、誰のためにあるのか」
橋や道路や下水道といったインフラは、人間のためにあると当然のように思われています。しかし実際にインフラの現場を調べ、その維持管理の実態を見ていくうちに、この「当然」が少しずつ揺らいでいきました。
インフラを維持しているのは、人間だけではないのではないか。コンクリートの隙間に根を張る植物、下水管の内側で有機物を分解する微生物、構造物の表面を覆うように広がる菌類、これらは「劣化の原因」として扱われることがほとんどです。しかし見方を変えると、彼らもまた都市という環境のなかで、なんらかの役割を担っている存在です。
この問いを起点に、私の卒業制作では菌類や微生物によるインフラ維持の可能性をデザイン提案としてまとめました。(BioDuct™ Project 藤田怜修 2026)そのプロセスで出会ったのが、More than Humanという思想です。
More-than-Humanと都市の接点-設計における新たな視点

More than Humanとは、人間中心主義を問い直し、人間以外の存在、例えば動植物、微生物、AI、自然環境などを思考や設計の主体として捉え直す思想的立場です。
この思想の背景には、20世紀後半から積み重ねられてきた複数の知的系譜があります。
生物学者・思想家のドナ・ハラウェイは、「種の境界」を問い直すことから出発しました。人間と動物、人間と機械、有機物と無機物、私たちが当たり前に引いているこれらの境界線は、実は歴史的・文化的に構築されたものだと彼女は言います。代表的な著作『伴侶種宣言』では、犬と人間の関係を通じて、異なる種が互いに影響し合いながら「共に形成されてきた」という視点を提示しました。人間は自律した主体ではなく、他の存在との関係のなかで絶えず変化する存在だという考え方です。
社会学者・哲学者のブルーノ・ラトゥールは、「アクターネットワーク理論(ANT)」によって異なる角度からこの問いに向き合いました。彼は、社会や組織の動きを理解するためには、人間だけでなく「非人間的なアクター」モノ、技術、制度、微生物も同等に分析の対象として扱うべきだと主張しました。たとえば科学的な発見は、研究者だけでなく、実験装置、試薬、データ記録のシステム、さらには研究室の慣行や資金提供の構造といった非人間的な要素との相互作用によって生まれるというのです。
この二つの思想が共鳴するのは、「主体は人間だけではない」という点です。私たちが当然だと思っている世界の姿は、人間以外の無数の存在との関係によって成り立っている。その関係を見えなくしたまま設計や思考を進めることは、現実の一部しか見ていないことになる。
これがMore than Humanという思想の核心です。
下水道の微生物が教えてくれること-私のデザイン研究に繋がった思想と問い
少し私の研究の話をします。
この思想を都市やインフラと接続するとき、最も具体的で説得力のある事例のひとつが、下水道の微生物です。
都市の下水処理システムは、人間が設計した精密な工学的構造物です。しかしその機能の核心を担っているのは、人間ではなく微生物です。下水処理場の「活性汚泥」と呼ばれるプロセスでは、数百種類以上の微生物が複雑な生態系を形成し、有機物の分解、窒素・リンの除去、病原菌の抑制といった役割を担っています。1グラムの活性汚泥には、数億から数十億の微生物が含まれていると言われています。
重要なのは、これらの微生物は人間が「配置した」わけではないということです。適切な環境条件、例えば水温、pH、酸素濃度、有機物の濃度などを整えることで、微生物たちは自ら集まり、コミュニティを形成し、機能し始めます。人間のエンジニアが設計したのはその「環境」であり、実際に水を浄化しているのは微生物の生態系です。
さらに言えば、下水管の内壁に形成される「バイオフィルム」も見逃せません。これは微生物が管の表面に定着し、複雑な構造を持つコロニーを形成したものです。従来の土木工学ではバイオフィルムは「劣化の原因」として管理・除去の対象とされてきました。しかし研究が進むにつれ、特定の微生物によるバイオフィルムがコンクリートの表面を保護したり、有害物質を分解したりする機能を持つことがわかってきました。「排除すべき存在」が「機能を持つ主体」として見え始めてきたのです。そして、このMore-than-Humanの思想が、問いを立てるための言語を与えてくれたのです。
今、私はこの思想が「問いを立てるための言語を与えてくれた」と書きました。これは具体的にどういうことでしょうか。
実は、微生物がインフラを支えているという事実自体は、生物学や土木工学の世界では以前から知られていました。しかしその事実は、多くの場合「技術的な知見」として処理され、設計思想の変革には結びつきませんでした。なぜなら「設計の主体は人間である」という前提が、暗黙のうちに思考の枠を規定していたからです。まさしく人間中心主義的な考え方でしょう。(ここからは、批判はせずこのような考えもあるという程で聞いてください)
More-than-Humanという思想的枠組みを持つことで、この事実の意味が変わります。「微生物がインフラを維持している」という観察が、「では微生物を設計の主体として考えたらどうなるか」という問いへと変換されます。これは言葉の違いのように見えて、思考の構造そのものが変わることです。
「言語を与えてくれた」とは、見えていたものに名前がついた、ということです。名前がつくことで、その対象を他者と共有できるようになります。名前がつくことで、その対象を起点に新しい問いを立てられるようになります。そして名前がつくことで、その対象を設計や実践の文脈に接続できるようになります。
モアザンヒューマン(More-than-Human)という言語がなければ、下水道の微生物に関する観察は「面白い生物学的事実」で止まっていたかもしれません。この思想的枠組みがあったからこそ、「インフラの共維持者としての微生物」という設計上の問いへと変換することができました。思想は、現実を変えるための言語です。
インフラを「維持されるもの」から「共に維持するもの」へとデザインする
都市インフラの維持管理は、今、大きな課題に直面しています。
高度経済成長期に整備された日本のインフラは、2030年代以降に一斉に老朽化を迎えます。更新コストは膨大で、人口減少によって税収が減るなかで、すべてを従来通りに維持することは困難です。「インフラをどう守るか」という問いは、今後の日本社会の根幹に関わる問いになっています。
この問いに対して、従来の答えは「より丈夫な素材を使う」「より頻繁に点検する」「AI・センサーで効率化する」というものでした。どれも重要な方向性です。しかし根本的な設計思想は変わっていません。それは「インフラは人間が管理するもの」という前提です。
研究を進めながら考えてきたのは、この前提を問い直すことです。インフラの維持に、人間以外の存在を能動的に組み込むことができないか。菌類がコンクリートのひびを自己修復する、微生物が有機物の堆積を分解する、植物の根がセンサーとして機能する。これらは現時点では実験的な発想ですが、自然界では当たり前に起きていることです。
「維持されるもの」としてのインフラから、「さまざまな存在によって共に維持されるもの」としてのインフラへ。この転換は、技術の問題だけでなく、設計思想と都市観の問題です。
まちを「完成するもの」とは考えない
都市計画の文脈では、しばしば「未来のまちの姿」が描かれます。2050年の都市像、100年後の都市ビジョン。これらは重要な思考の実践です。しかし「完成形としての都市像」を描くことには、ひとつの罠があります。
完成形を描くと、そこへ向かうプロセスが「工程」になります。何年までに何をする、という計画が立てられ、それを実行することが目標になります。これは行政や事業の文脈では必要なことです。しかしまちという存在は、計画通りには育ちません。
まちは、そこに住む人々の日常の積み重ねによって変化します。計画されなかった路地の使われ方、設計者が想定しなかった公園の過ごし方、行政の計画外で生まれたコミュニティ、これらがまちに厚みと個性を与えます。人間以外の存在も同様です。壁面を覆う植物、隙間に巣を作る鳥、地下を流れる水、これらは計画の外から、まちに変化をもたらし続けます。
まちを「完成するもの」ではなく「変化し続けるもの」として捉えるとき、都市の設計思想も変わります。完成を目指すのではなく、変化を受け入れる構造を作ること。制御するのではなく、多様な主体が関与できる余白を作ること。
この考え方は、More than Humanの思想と深く共鳴しています。そしてインフラや都市を研究対象として見てきた経験から、これは抽象的な思想の話ではなく、実践的な設計の話だと確信しています。
まちと向き合うとは、問い続けることである
未来のまちを構想することは、答えを出すことではないと思っています。
どんな技術が実現するかは、ある程度予測できます。どんな人口動態になるかも、データから推定できます。しかし「どんなまちに住みたいか」「誰のためのまちを作るか」「まちに関わる存在をどう定義するか」これらの問いに、客観的な正解はありません。
これらは、それぞれの社会が、それぞれの時代に、問い続けるべき問いです。
インフラや都市を研究対象にしてきて、一番強く感じることがあります。まちは、問われ続けることで育つということです。計画され、建設され、管理されるだけのまちより、住む人々が「これでいいのか」「もっとこうできないか」と問い続けるまちの方が、長く生き残ります。
未来のまちについて考えることは、その問いに参加することです。専門家でなくても、設計者でなくても、今このまちに住んでいるすべての人が、その問いの当事者です。
あなたが住むまちは、10年後にどんな姿になっていてほしいですか。そのまちには、人間以外の存在がどのように関わっていますか。その問いを、少しだけ持ち帰ってもらえたなら、この記事には意味があったと思います。ありがとうございました。