「#2040年代の働き方」、シリーズ第2回は、経済産業省や特許庁、デジタル庁などで政策の企画立案に携わり、2024年に独立して株式会社Kumanomics(以下、クマノミクス)を立ち上げた橋本 直樹さんにお話をうかがいました。政策を行政だけのものにしない。ルールや仕組みをつくる人をひらくことで、未来を変えていく。”野良の政策家”という新しいビジョンから、ルールや仕組みと人のあいだをつなぎ直す2040年代の働き方を、橋本さんは切り拓いていました。

橋本直樹氏
株式会社Kumanomics 代表取締役
1986年兵庫県生まれ。東京大学法学部卒業後、2010年より経済産業省に勤める。国家公務員として初めて、美術大学院(米国パーソンズ美術大学)に留学し、MFA(美術学修士号)を修了。デザイン経営の推進、デザイン手法により政策立案を行うJAPAN+Dの企画・運営、デジタル庁でのサービスデザイン手法の導入等に携わり、また、知的財産権により社会課題を解決する特許庁I-OPENプロジェクトを立ち上げ、2023年に同プロジェクトでグッドデザイン賞を受賞。2024年、経済産業省を退職し、Kumanomicsを創業。
2025年4月、虎ノ門ヒルズでクロスセクターで課題解決を目指すGlass Rockの共創コーディネーターに就任。
自分が変えたいと思うなら、自分がその専門家になればいい

橋本さんが政策をデザインするという発想にたどり着いたのは、経済産業省に入省後5年くらい経ったころの若手時代でした。クールジャパンの政策を担当し、日本の中小企業の技術を海外輸出できる商品開発の支援をしていた頃に、産業政策に求められているイノベーションにおいてデザインが重要になると感じ始めたと言います。
橋本さん –
クールジャパンの施策を担当していた2015年頃は、デザイン思考という言葉が日本でも少しずつ知られ始めた時期でした。事業査定の責任者からは『しょせんバズワードじゃないか。そんなものにお金をつける話なのか?』なんて言われて、すごく腹が立って(笑)。
私はそれまでデザインの専門でもない、いわゆるただの役人だったんですが、それなら自分がきちんと勉強して、その領域のプロフェッショナルになることで、『橋本が言うなら』と思ってもらえる方がいいんじゃないかと考えたんです。そこで2017年、公務員として初めて、アメリカのパーソンズという美術大学大学院に留学しました。
橋本さんは、エネルギー政策や新規事業の支援、地域産業振興など様々な業界との政策に関わる中で「この制度は現場にとって本当に機能しているのか?」「誰のための政策なのか?」という違和感があったといいます。留学先のアメリカ・パーソンズ美術大学では、当時日本ではまだ十分に普及していなかったサービスデザインを政策に応用するための実践的な環境で政策と現場のあいだをどう埋めるかという問いに出会います。
橋本さん –
なんか……何のために、誰のためにやってるのかよくわからない政策って、世の中に本当にたくさんあるんですよね。いろんな団体の調整のなかで、『こういうことを国や行政にやってほしい』という要望はすぐ届くんですけど、そもそもその団体が言っている課題やニーズって、本当に正しいのかなと。
むしろ現場のほうにもっとアプローチして、ちゃんとニーズを拾いきれていないんじゃないか、っていうことをすごく強く感じていました。
留学先では、ニューヨーク市の政策立案にサービスデザインを導入する取り組みや、南米で伝統工芸の暮らしを守るデザインプロジェクトなどを目の当たりにし、政策や制度は誰のためにあるのか?という原点を見つめ直したといいます。
橋本さん –
南米のグアテマラに研究旅行に行ったんですが、そこで出会った伝統工芸の職人の方々が、いわゆる買い叩きにあっていたんです。作っているのは非常に高価なカバンや服に使われるようなものなのに、支払われる報酬は驚くほど安い。
じゃあ、彼女たちの問題をどうやって解決すればいいのか。マクロな政策ももちろん重要なんですが、こうした社会課題や政策課題にデザインの考え方を入れていくと、これまで自分がやってきた政策立案よりもはるかに具体的だったし、誰のための政策なのか / 誰のための課題解決なのかがすごく明確に見えてきたんです。
「人と違うこと」は面白い。中高時代や留学時のクラスメイトが自分の柔軟性をより拡張してくれた
橋本さんは幼少期から人と違うことは面白いと感じていたそうです。
橋本さん –
自分の中学高校は男子校で、めちゃくちゃ自由な進学校だったんです。勉強以外でも面白いことをやってる人がたくさんいて、私はお芝居をやったり、ジャグリングをしたり、そんな学生生活を送っていました。
ある意味、人と違うところにちゃんとピンを刺すようなことをしてたのかもしれません。もっとも、ピンを刺したところでリスペクトされるかは別問題ですけどね(笑)。悪い意味ではなく、他人にあまり干渉しない人たちが多かったからか、自分の考え方の柔軟性の土台をつくってくれた気がします。
橋本さんは、アメリカ留学中のクラスメイトにも多くの刺激をもらったと続けます。
橋本さん –
留学先のパーソンズは、1学年20人ほどのとても小規模な学科で、デザイナーとノンデザイナーが半々くらいの割合でした。ノンデザイナーの中には、プログラマーや脳科学、哲学の研究者なんかもいて、すごく刺激的でした。
その中で印象的だったのが、ドイツ人のクラスメイトが取り組んでいた街路灯のプロジェクトです。街路灯って、もともと人間のためにデザインされていて、夜道を安全に歩けるように光を照らすものじゃないですか。でももし、これから自然を大切にするという価値観が今よりももっと強くなったとしたら、その存在意義ってどう変わるんだろう?──という思考実験なんです。
彼の構想では、街路樹にセンサーを取り付けて、葉脈を解析し栄養状態を検知して、街路灯の明かりをつけて、人工的に光合成を促すような装置を組み込んだりするアイデアが出てきて、すごく面白かったですね。「こうした『もし未来がこうなったら?』という問いからデザインを考える手法は『スペキュラティブ・デザイン』と呼ばれ、常識の枠を広げる上で大きな学びになりました」
もう一人、強く印象に残っているのが、南米出身の女性です。ちょうどトランプ政権一期目の時期で、移民への締め付けが厳しかった。彼女が話してくれたのは、ビザなしでアメリカに入国し、そのまま生活している南米系のコミュニティの話でした。そういう人たちは、銀行からお金を借りるのがとても難しい。だから、独自のコミュニティ内でお金を融通し合う、非合法だけど実質的な金融システムが存在していて。そこにビットコインやブロックチェーンの技術を組み合わせれば、草の根レベルで何かをアップデートできるかもしれない──そんなことを彼女は語っていました。
当時は、まだ存在していないけれど、これからアップデートされていくかもしれない機会や領域が、たくさん見えた気がしました。自分の中にあったデザインの概念が広がって、常識の枠をぐっと押し広げてくれた体験でした。

(橋本さんより画像ご提供)

(橋本さんより画像ご提供)
政策の主語を「組織」から「ひとり(人)」へ
橋本さんは2019年に帰国し、特許庁に配属を希望し、デザインという武器を手に入れた役人としてリスタートします。この頃は、省庁の中でもデザインの力が認められてきた時代。「デザイン経営宣言」というステートメントが発信され、デザインの考え方を企業経営に導入していこうという機運が広がりだしたころです。
特許庁は大手企業からの特許収益をベースに運営がされていることもあり、企業側に主軸をおいた施策が多くあったそうです。
橋本さん-
特許庁でも、正しくデザインの考え方を持って政策を立案していくために、まずはミッション・ビジョン・バリューを策定するところから始めました。
「知が尊重され、一人ひとりが創造力を発揮したくなる社会を実現する」
これが特許庁のミッションです。だからこそ、一人ひとりにしっかりフォーカスした政策をつくるべきだという、ある種デザイン的な地盤をまず整える必要があると考えました。
この一人ひとりが創造力を発揮したくなるというのは、大企業の中の一社員という意味でもありますが、それだけではありません。むしろ、NPOやスタートアップ、個人事業主、あるいは主婦の方のような、必ずしも特許庁がフォーカスしてこなかった人たちにも、光を当てていく必要があると思ったんです。誰もが何か新しいものをつくろうとするとき、知財を活用するという選択肢があっていいはずだ、という視点です。
実際にヒアリングを進めていくと、特許を取って独占的に事業を拡大したいというよりも、「このアイデアは社会にとって価値があるから、仲間を見つけて一緒に取り組みたい」「もっとシェアして広げていきたい」──そんなマインドを持っている人が多いことに気づきました。
そこから生まれたのが、I-OPEN PROJECTです。
I-OPEN PROJECTの発表会には、筆者も参加させていただきましたが、行政が主体となっているプロジェクトとは思えないほど先進的な取り組みだと感じた記憶があります。
橋本さん-
いまはもう、大企業1社だけで社会課題を解決できるような時代ではありません。だからこそ、いろんな人がつながることで、たとえ1つでも2つでも社会課題を解決していけるなら、そのつながり自体に価値があると思ったんです。
そうした人と人、企業と企業をつなぐ接着点として、知財を活用する──そんなちょっと逆説的な発想がI-OPEN PROJECTのベースにありました。
たとえば、子ども食堂を運営している方や、服の端材を活用するAIスタートアップなど、具体的な活動をしている人たちとメンターをつなぎ、一人ひとりのプロジェクトが次々と生まれていく。そんな動きが広がることを目指して活動してきました。
その成果として、2023年にはグッドデザイン賞をいただくことができました。政策立案の領域でこの賞を受賞するというのは、あまり聞かないケースだと思いますが、だからこそこの領域にもデザインは入り得るということが、オフィシャルに認められたのではないかと感じています。

(橋本さんより画像ご提供

(橋本さんより画像ご提供)
クマノミクスが目指す「政策の民主化」
その後橋本さんはデジタル庁へ異動し、行政のサービスを一人ひとりのニーズに答えるためのサービスデザインの導入などを担当し、2024年にデジタル庁・経済産業省を退職して、株式会社クマノミクスを起業することになります。
橋本さん –
基本的に役人は、2年とか3年ごとに異動があります。ですが、デジタル庁に異動したあとも、どうしても特許庁のI-OPEN PROJECTに関わり続けたくて、併任をお願いしたんです。正直、結構無理筋なお願いだったとは思いますが、なんとかやらせてもらうことができました。
今後、いろんなデザイン×政策のプロジェクトを立ち上げていくことを考えると、むしろ自分自身の立場で動いたほうが、社会課題の解決や新しい価値の創造がしやすくなるんじゃないか──そんな思いもあって、株式会社クマノミクスを立ち上げました。
現在クマノミクスでは、3つの柱を掲げて活動を加速しています。
橋本さん-
一つ目がしくみを作るです。
政策は行政がつくるもの、ビジネスは企業がつくるもの──そんな従来の枠組みを越えて、課題意識を行政と企業の双方で共有し、組織の垣根を超えて本音で話せる仕組みをつくっています。
どうしても、企業から受けた要望や陳情は、行政の立場から見るとNOを探す仕事になりがちなんですよね。でも、最初から一緒に議論を始められれば、もっと高いゴールを目指せるんじゃないかと考えたんです。
具体的には、JR東日本が主催するWaaS共創コンソーシアムの企業と、宮城県庁、大学などと連携して、地域課題を発掘するワークショップを企画しています。地域の情報をリサーチやレポートといった書類にまとめるだけではなく、言葉になりにくいカオスな状況や、ユニークな視点を持つ人たちの声を、現場で生で聞くことがとても重要だと思っています。直感や気づきのようなものを、セクターを超えた人たちが同じ空間で共有する。そういう体験のデザインこそが必要なんです。
実際、つい先日も宮城県の川崎町に行ってきました。そこでは、いわゆる交通弱者とされる方々がどんな状況に置かれているのか、また、教育の状況が良くないと言われているなかで、実際に教育長は何を考えているのか──そうした現場の声をインタビューするフィールドワークを行ってきたところです。

(橋本さんより画像ご提供)
起業前後にかかわらず、橋本さんの話からは「人」「現場」「体験」というキーワードが一貫して見えてきました。まさにデザイナーの視点です。
橋本さん-
二つ目は想いをつなげるです。
行政の仕事って、どうしても誰とつながるかにいろんな制約があるんですよね。同じような関係性に偏らないようにとか、いろいろと気を遣う場面が多くて。だからこそ、自由に本音で話せる場や仕掛けが、すごく重要だと思っているんです。
たとえば私は、共創コーディネーターとして 虎ノ門ヒルズに開業した Glass Rock -Social Action Community-(以下、Glass Rock)に関わっています。ここでは、行政官をはじめ、NPOやNGO、個人や大企業の方々など、社会課題解決のためのプロジェクトの促進に必要な人や団体を積極的につなぎ支援する役を担っています。
ほかにも、中小企業庁と一緒に、100億円企業を目指す経営者たちのネットワークづくりを進めています。ただ経済成長を目指すだけでなく、ステークホルダーや地域、従業員の暮らしがどうすればもっと良くなるのか──そういうことを一緒に考えられる仲間を増やしていきたいと思っています。
ちなみに、このGlass Rockは未来志向なクロスセクターのコミュニティで、筆者もコンテンツパートナーとして運営に関わっています。
橋本さん-
最後はまなびをかたちにです。
この秋から、東京大学で「公共政策のデザイン」という新しいカリキュラムが立ち上がることになり、私自身が非常勤講師として大学院生に教える予定です。政策というのは、どうしても抽象度が高くなりがちですが、だからこそ人の声にどう丁寧にアプローチするかという態度や技術がとても重要になってきます。そうした姿勢を、これからの人材にしっかり伝えていきたいと思っています。
また、企業向けには、知的財産の活用をテーマにした研修も行っています。特に、食品やバイオの分野で、ユーザーの声に寄り添った事業づくりに取り組もうとする企業に対して、伴走支援をしています。

鳥の目・虫の目を行き来する戦略
橋本さんのお話を聞いていると、具体と抽象、鳥の目と虫の目を激しく行き来していて、どのように視座の高さや人との向き合い方を切り替えているのかと、今後の展望が気になるところです。
橋本さん-
行政の仕事って、どうしても鳥の目で全体を見る視点が求められるんですよね。でも、その裏にいる一人ひとりの顔や声が見えなくなってしまうこともある。
だから私は、あえて現場に出向いて話を聞いたり、頼まれていないことでも動いてみたりしてきました。非営利法人を立ち上げたり、行政の立場のまま自由にプロジェクトを仕掛けたりと、自分自身で虫の目を取り戻せる場をつくっていたのかもしれません。
これからも、きっとたくさんのプロジェクトに関わっていくと思いますが、一つひとつのテーマについて、まずは広げることに重きを置いています。
ただ、その中でこれはクマノミクスがしっかり担うべきだと感じたテーマについては、ちゃんと深めていきたいと考えています。
2040年、野良の政策家——組織に属さずとも政策に関わる人々であふれる社会が地域の未来をつくる
政策と聞くと法律や制度の話を思い浮かべがちですが、橋本さんは、もっと幅広く柔らかい意味合いを含むものだと語ります。たとえば、自治体のキャラクターを活用したPRや、ライフスタイルを変える呼びかけなど。つまり、政策づくりは限られた官僚や政治家だけのものではなく、本来もっと多くの人が関われる営みなのだそうです。そんな世界線で活躍する“野良の政策家”が増殖した2040年の未来について思索をめぐらせてもらいました。
橋本さん-
政策というと、法律や制度のような硬いものを思い浮かべがちですが、実はそれだけではありません。たとえば、クールビズやくまモンのように、社会に呼びかける柔らかいアクションも政策の一つです。
つまり、誰もが何かしら政策に関わる可能性がある。そういう意味で、特別な肩書きがなくても地域や組織の中で課題に向き合い、ルールや仕組みをつくっていく人は、“野良の政策家”と呼べるのではないでしょうか。
こうした動きが広がっていけば、政策づくりは中央集権型から分散型へと移行していくはずです。ある意味では、DAO(自律分散型組織)的な究極の分権社会が実現していくのかもしれません。小さなコミュニティで生まれた実験的なルールや仕組みが、他の地域にコピーされ、広がっていくようなイメージです。
そして、働き方もきっと変わってくる。一つの自治体に所属するのではなく、複数の拠点を行き来しながら、企業や地方、海外とも関わり、越境的に政策を担う──そんな生き方が当たり前になるかもしれません。2040年代には、肩書きのない“名もなき野良の政策家”たちが、全国各地で活躍している。そんな未来が、きっと現実になっていると思います。

当社の未来年表(兆しマップ)で橋本さんが注目した未来の兆しは、2027年の「多拠点居住者に対応した施策を打ち出す自治体の誕生」。野良の政策家が場所にとらわれず、様々な地域やセクターで活動し、自治体側もそれを受け入れていくビジョンと非常にマッチしている。
まとめ:2040年代の働き方の未来予報
橋本さんのお話しから、いくつか2040年代の働き方や新職業が見えてきました。
これからあらわれる{かもしれない}新職業として、いくつか、まとめて、おさらいしましょう。

ポリシーデザイナー
行政機関にとどまらず、さまざまな政策やルールをステークホルダーと共創する専門のデザイナー

セクターブレイザー
行政や企業、NPOなど様々なセクターの共通のビジョンをつくり再構築する破壊と再生のファシリテーター

知財プロモーター
知財をオープンにすることで自社の利益にとどまらずソーシャルインパクトを最大化する専門家

政策ノマドワーカー
特定の地域にとらわれずに、野良で政策提案をして地域社会をより良いものにして移動しつづけるノマドワーカー
あなたは2040年代、どのような働き方をしたいですか?
次回の#2040年代の働き方も、お楽しみに!