「水俣病歴史考証館」未来をのぞける博物館 #05

未来をのぞける博物館シリーズの第五弾。今回は、熊本県にある水俣病センター相思社が運営する「水俣病歴史考証館」を紹介します。

戦後の高度経済成長期を経たことで右肩上がりに成長してきた日本経済。しかし、その背後では、公害によって様々な被害がもたらされていました。公害というと、学校の授業で習う四大公害病は有名かと思いますが、その一つである水俣病を扱う水俣病歴史考証館は、水俣病に関する出来事を関連の資料を通して知るだけでなく、今も水俣病には様々な課題があること、そして、これからの未来を生きる上で公害について考えなければならない内容に触れることもできるのです。

昭和31年に初めて患者の発生が報告されてから半世紀以上が経過してはいるものの、それでもまだ、水俣病問題はまだ終わっていないのです。

患者の生活を支えるために創設

かつてキノコ工場だった建物を資料館に

熊本県水俣市の閑静な丘の上で活動を続けている一般社団法人「水俣病センター相思社」

水俣病の認定申請におけるサポート、資料整理、環境学習など水俣病に関する多岐に渡る活動を行なっており、その一環として、かつてキノコ工場だった建物を水俣病歴史考証館として一般公開。スタッフに案内していただきながら、水俣病について理解を深めることができるのです。

水俣病が発生する前は、漁業が盛んに行われていた

館内には、地元の漁師の方々から寄贈していただいた船や道具類、さらには水俣病にまつわる写真や書類などの関連資料が展示されています。基本は相思社の方がマンツーマンで説明してくれるため、展示の解説を受けられるだけでなく、疑問に思ったり気になったことにも親切丁寧に回答してくれるため、水俣病について深く理解できるとても貴重な場所となっています。

水俣市は海に面しているゆえ、古くから漁業や製塩業が盛んに行われていました。ところが、日露戦争後には塩が専売制となったことで失業者が出て土地が余り、工場の土地を探していた化学工業メーカーであるチッソの工場を、明治41年に誘致。

その後、水俣市にはチッソ及び下請け会社の社員も増え、まさにチッソの企業城下町となっていきます。昭和7年にはチッソが合成酢酸やプラスチックの可塑剤の原料にもなるアセトアルデヒドの製造を開始するも、これこそが、水俣病という大きな公害病の要因となったのです。

アセトアルデヒドを製造する際に発生する有機水銀を排水したために、水俣湾に生息する魚や貝が汚染されてしまうことに。

昭和28年頃からは、水俣湾周辺の漁村部落でネコが走り回って死んだりする様子が見られるほか、市民の中にも、ある日突然耳が聞こえなくなるなど様々な症状に悩まされる方が出始めました。さらには魚を食べたお母さんの子供にもその症状が現れたのです。

ネコ実験に使われた本物の小屋

その原因はすぐに突き止められたわけではなく、工場が原因ではないとチッソ側は排水を止めませんでした。中にはネコ実験まで行われ、実際に実験に使われた小屋が考証館に残されています。

しかし、最終的には昭和43年、国が正式に工場から排水した有機水銀が原因である事を発表したのです。

激しい抗議活動の記録

たくさんの抗議ゼッケンが吊るされたインパクト大な光景

展示の中でも、天井に吊るされているたくさんの抗議ゼッケンのインパクトが強く、この背景が気になるところです。これは、水俣病認定されなかった方々がチッソに抗議した際に身につけていたもの

抗議活動はチッソ水俣工場の正門前で行われ、それはテントが張られ長期間にわたりました。座り込みながら、補償や救済を求め抗議の声を上げ続けたのです。

被害者の怒りを彷彿とさせる幟

ゼッケンのみならず、黒色を帯びた”怨”の文字が書かれた幟(のぼり)も実に強烈。こちらは、チッソ側との交渉などの際、患者が集まる際に用いられたもの

こうしたアイテムが用いられつつ抗議活動が行われはしたものの、いざ申請を出したとしても、実情はほとんどが棄却されたそうです

昭和48年に水俣病に関する初の裁判が終わり、相思社はその翌年に設立されました。その背景としては、裁判で勝訴判決が出て補償金が出るものの、患者たちの後の生活を支える場が必要だったため

患者の方々は仕事がしたくても仕事がなく、そうした方々を支援するためにキノコ工場が建てられました。なぜキノコ工場かというと、キノコはそこまで重たくないため、手足が不自由な方であっても運んだり作業がしやすいためとのこと。

水俣湾にヘドロが埋められた

そして、水俣病にはもう一つ大きな課題が残されています。それは、水俣湾に眠るヘドロの問題です。

中に入っているのは、有機水銀を含んだ本物のヘドロ

水俣湾では、水銀を含むヘドロを封じ込めるための埋立工事が行われた

チッソが排水した有機水銀は、川を流れ、最終的には水俣湾へと流れ出ました。長きにわたり排水されたゆえ、水俣湾に溜まり続けたヘドロ。これらはどう処理したかというと、鋼板で閉じ込める形で対処されているのです。

とはいえ、ずっと閉じ込めたままにするわけにはいかず、鋼板の腐食が進んでいることからその対策を考えなければいけないのです

この公園の真下には、今もヘドロが埋まっている

水俣湾に流れた有機水銀は、今も水俣湾の底に埋まっています。このヘドロをどのようにして処理していくかはまだ明確な方針は決まっていません。

戦後から経済成長を続けてきた日本。しかし、その裏で発生した公害病は今になっても課題が残され続けており、これからの未来を生きる我々が考えていかなければならない問題なのです。

今も症状に関する相談が寄せられている

畳が広がる昔ながらの休憩室

水俣病が発生してから半世紀以上が経過した現在でも、水俣病の認定申請の相談が寄せられるそうです。

若いときに県外へ移住し、昔は体力があったものの、体力が落ちると明らかに手の震えなどおかしい症状が出る。小さい頃は水俣市で生活していたことから、もしかしたら水俣病が原因なのかもしれない。

このような場合、認定申請を受けられるものなのか。そのような悩みを相談したいとき、相思社の存在はかけがえのないものなはず。

考証館以外にも、ガイド役の職員が水俣病の話をしながら水俣のまち案内をしていただけます。現地を訪問する以外に、オンラインでの参加も可能です。

学校の授業で一度は習う水俣病。これからの社会を生きる上で、その事件の真実と意味を、もう一度考えてみてはいかがでしょうか。

博物館に行ってみよう!

水俣病センター相思社(水俣病歴史考証館)

  • 住所:熊本県水俣市袋34
  • 営業時間:
    • 平日:9時-17時
    • 日・祝:10時-16時(水俣病歴史考証館のみ)
    • 土曜日は対応できる職員がいれば見学可能
    • 休館日:土曜、年末年始(12/29~1/4)
  • 入館料 ※=20人以上の団体料金(税込)
    • 大人 550円(※440円)
    • 高校生 440円(※330円)
    • 小・中学生 330円(※220円)
    • 水俣市・芦北町・津奈木町・出水市・御所浦島・獅子島の方は入館無料。
  • 公式HP:https://www.minamatadiseasemuseum-jp.net/

丹治 俊樹

丹治 俊樹

博物館ライター

博物館マニアであり、「知の冒険」主宰者。本業であるフリーエンジニアのかたわら、博物館ライターとして、珍スポ/遊郭跡/博物館/昭和レトロなど2000スポット以上を取材。テレビ、ラジオ、雑誌などのメディアに出演するほか、書籍の出版、講演会の開催なども行う。二郎全店制覇。著書に『世にも奇妙な博物館 〜未知と出会う55スポット』などがある。 ブログ「知の冒険」:https://chinobouken.com/

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