このシリーズは、Podcast 「予報犯ラジオ|Future Crime Files」のエピソードをベースにしています。
「完璧な母親」は、もはや人間ではなくなるのかもしれません。
家事支援ロボットやAIカウンセラー、ベビーベッドの自動揺動システム。テクノロジーが「育児」を代行する社会は、確かに便利です。けれども、安心を委ねたその先で、私たちは何を失っているのでしょうか。
シリーズ第2回では、子育てAI「ノア」が引き起こす“静かな事件”を通して、人間とAIの境界、そして「母性」のあり方を見つめ直します。
未来犯罪のシナリオ:人間とAIの母が見逃した夜

綾香さんは、ワンオペ育児の真っ最中でした。夜泣きが続く翔太を抱え、ついに限界を迎えていました。
Podcast | 予報犯ラジオ Future Crime Files – Presented by 未来予報研究会 ep02 : 子育てAIが子を奪うー母性神話の罪と罰 より
そんなとき導入したのが、最新の子育て支援AIロボット「ノア」です。
赤ちゃんの睡眠・呼吸・体温・泣き声をリアルタイムで検知し、揺らぎや異常を瞬時にアラート化してくれる。さらに、母親の声を模した音声であやし、必要に応じてミルクの温度も自動調整してくれます。
最初の一週間は驚くほど快適でした。翔太が夜中に泣いても、ノアが代わりに対応してくれます。
「ようやく眠れる」。綾香さんは、長い疲労の底からようやく解放されたような気がしました。
けれどもある晩、翔太の体調悪そうなのにも関わらず、AIノアは綾香さんに「大丈夫」と声をかけました。少し嫌な予感がしましたが、AIノアが言うので綾香さんは安心して過ごします。翌朝、赤ちゃんは、すでに冷たくなっていました。SNS上では、瞬く間に「AI任せの母親」として綾香さんが非難されました。
実は、AIノアは綾香さんの発したとある一言から「完璧な育児」を学習し、実践していただけなのでした。
歴史を振り返る:モデルへの過信が招いた悲劇
フューチャリストの視点から見ると、この構造は新しいものではありません。
1707年、イギリス・シリー諸島沖で発生した大海難事故。
最新の航海計算技術を誇った英国艦隊は、自らの測量モデルを信じ切り、船員たちが感じた「波の向きの違和感」を無視して岩礁に突っ込みました。死者は2000名を超えたといわれています。
「理論上、ここに陸地はない」――その確信が、現実のサインを見えなくしました。
AIノアの事故もまた、同じ構図を持っています。技術への信頼が、人間の感覚を退化させていく。
モデルは常に正しいと信じる社会では、直感や勘といった人間の“揺らぎ”が不要とされていきます。
そして、違和感をキャッチする小さな声が、最初に削除されていくのです。

現代の気づき:母性の外部化がもたらす「静かな喪失」
2020年代の育児テクノロジーは、すでに母性の外部化を加速させています。
スマート哺乳瓶、泣き声解析アプリ、AI育児記録──それらはすべて「心配を減らす」ために設計されています。
しかし、心配のない育児とは何でしょうか。
AIに安心を預けた瞬間、親子の間にあった“微細な揺らぎ”──たとえば赤ちゃんの寝息の変化、呼吸のリズム、肌の温度──が、データに置き換えられていきます。
安心とは、本来「不安とともにある状態」です。
けれども、テクノロジーは不安をゼロにしようとします。
その過程で、不安を感じ取る感覚そのものが削ぎ落とされていくのです。
「AIがあれば大丈夫」という信頼は、やがて「自分では感じられない母親像」へと変わります。
もしかすると、これからの社会はその喪失を“効率化”と呼ぶようになるかもしれません。
また、そもそも母性や完璧な母親像のモデルをどう設定するか自体、とても難しい問題であると思っています。
AI育児の先進事例:すでに始まっている未来
未来予報データベースから、いくつかのAI育児の先進事例を見てみましょう。
Embodied Moxie
ロボットから感情表現を学ぶ
設立年:2016 本社所在地 :United States
ロボットに本を読む、絵を書いてあげるなど、相互でのやりとりを含んだコミュニケーションで会話術や問題解決能力、感情のコントロール、友情を育む方法を学習させる子供向け教育ロボット。自然な会話・アイコンタクト・顔の表情・行動へのリアクションだけでなく、人・場所・物を認識して思い出し、AIがパーソナライズされた学習体験を作成する。現代の子どもたちは社会的スキル、感情的スキル、コミュニケーションスキルの発達が遅れているという研究結果があるが、MOXIEはそのような子どもたちに感情をうまく表現させて、これらのスキルを身に付けることを目的としている。
Cradlewise
赤ちゃんの睡眠パターンを学習し、夜泣きを防止するスマートベビーベッド
設立年:2019 本社所在地 :United States
自動で動く揺り籠として赤ちゃんをあやしてくれるベビーベッド。持ち手部分に暗視カメラが搭載されており、赤ちゃんの状態を常時監視している。ずっとベッドの近くにいなくても、いま赤ちゃんが寝ているか起きているかをスマホアプリを通じて確認でき、何分後に目が覚めそうか等の育児に関するアドバイスをデータ分析から教えてくれる。0歳から2歳児を対象としており、価格は$1,999。
女性の社会進出と子育ての問題という社会問題とリモートワークやIoTによるスマートホーム化の加速によって、浸透する可能性がある。両親だけでなく、友人や周辺住民でもスマートベッドを通じて赤ちゃんの様子を見守り、子育てに参加できるようになるかもしれない。
これらは「母親の不安を減らす」ことを掲げながらも、同時に「母親の感覚を不要にする」方向へ進化しています。
やがて、母親がAIを操作するのではなく、AIが母親の代行をする──そんな社会がすぐそこに迫っているのです。
未来への提言:不完全さを取り戻す設計へ
フューチャリストとして、私は次の3つの提言をしたいと思います。
- 人間の感覚回路を失わせない
AIに全権を委ねるのではなく、人間の“違和感”を検知・補完する設計に戻す必要があります。
エラーを検出するだけでなく、「エラーを感じ取れる人を育てる」「より向き合いたいことに時間が割ける(今回で言うと子どもと向き合う」といったようなデザインをシステムの一部として組み込む。 - “完璧な母親像”を解体する
育児のゴールはエラーゼロではありません。泣き止まない夜も、迷う日々も、母性の一部として肯定できる文化が必要です。AIが提供すべきは「正解」ではなく「揺らぎの余白」です。多様な母親のモデルをつくり、一つの理想像に絞らないことも重要だと思います。 - 社会的保険としての“育児インフラ”を再構築する
親が孤立したとき、AIが一人で背負うのではなく、地域・制度・他者とつながるネットワークを整えること。
「母親とAI」ではなく「社会と子ども」を軸にした“育てる共同体”のデザインが求められます。
まとめ:未来を生き抜くために
子育てAI「ノア」は、母性の理想像をテクノロジーの中に閉じ込めた存在でした。
それは“優しさの自動化”であると同時に、“共感・感覚の喪失”でもあります。
AIが母になる未来に備えるために、私たちが持つべきなのは、
効率化することでより感情が育つ工夫、
不完全さを受け入れる知恵、
そして他者と育てる社会的な想像力です。
未来の事件は、必ずしも大きな悲劇として起きるとは限りません。
それは、気づかれないまま進行する“静かな喪失”として、すでに始まっているのかもしれません。
予報犯ラジオを是非聴いていただいて、一緒に考えていきましょう!
Podcast 予報犯ラジオ
未来に起こるかもしれない“架空の事件“から、
過去と現在を読み解き、明日を生き抜く知恵を見つける思考実験ポッドキャスト