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「プロレス美術館」未来をのぞける博物館 #02

未来をのぞける博物館シリーズの第二弾。今回は、京都市にある「プロレス美術館」を紹介します。

博物館というと東京国立博物館、国立科学博物館のような公的で大きな施設を思い浮かべる人は多いかもしれません。ところが、個人が運営する小規模な博物館も、日本中を探すとたくさん見られるのです。

個人博物館を訪れてみると、どの施設もオリジナリティに溢れているところが実におもしろく、熱意を込めて語ってくれる館長の人生や生き様が現れている点も非常に魅力です。そうした日本中の個人博物館の中から、個人宅をプロレスの美術館にしてしまった館長・湯沢利彦さんの人生をもとに、これからの未来の生き方について考えてみようと思います。

京都の民家に広がる夢空間

プロレスの美術館があるとは思えない普通の住宅

日本を代表する観光地である古都京都。寺社仏閣などが立ち並ぶこの街には、自宅にミニチュアリングを設営し、プロレスグッズを所狭しと展示している「プロレス美術館」があります。

プロレス会場を再現した二階の一室には、本物のリングを再現したミニチュアのリングを設置し、周囲にはアントニオ猪木、ジャイアント馬場、初代タイガーマスクなど、昭和の時代を中心に活躍したプロレスラーのアイテムが展示されています。

小学生の頃、ゴールデンタイムで流れるプロレス番組を機に、その魅力にハマった湯沢さん。今では好きが高じてプロレス美術館を開館してはいるものの、そこに至るまでには度重なる苦難があったのです。

ローン返済とリストラに苦しんだ人生

それは、サラリーマンとして一番忙しかった35歳の頃に訪れました。

生まれてから住んでいる実家が老朽化問題を抱えており、曾祖父の時代に建てられてから120年が経過していた実家が、コップも滑るほど畳が傾き始めていたのです。

建て直す以外に方法はない状態であるものの、両親は年齢的にも建て直しの費用を工面するのは難しく、突然、湯沢さんは25年払いのローンを抱えることになりました。給料の半分近くの額を毎月払い続けなければならなく、60歳までローンから解放されないのかと考えると、それはそれは不安で仕方ない日々

そんななか、湯沢さんにあるアイディアが浮かびました。せっかく家を建て直すのであれば、新築の一室を「プロレスの小部屋」にして、それをモチベーションにローンを返済していこうと考えたのです。

しかし、そう思った直後、今度は新卒から働き続けていた会社からリストラされてしまうのです。再就職のために就活をするも、なかなか再就職先が見つからない。そうなったらもうヤケクソ。一旦頭を切り替え、プロレス部屋を展示室からプロレス会場に進化させることに注力する日々を送りました。

天井には照明を設置し、部屋の中心にはリングを設置。さらには場外マットやフェンス、入場ゲートまで作り上げ、趣味だった小部屋は1年かけてプロレス会場へと進化したのです。

プロレス美術館が開館したての頃の一枚

せっかくなら一般に公開して多くの方に見てもらおうと、2000年(平成12)の元旦に「プロレス美術館」として開館。リストラというピンチには見舞われたものの、趣味の場所を多くの人に開かれた場所にまで進化させ、美術館を開くまでに至ったのです。

プロレス美術館があったから生きられた

館長・湯沢利彦さん

一方、仕事の方はというと正社員の仕事がなかなか見つからず、朝7時から23時頃までタクシー運転手や病院の受付、検体輸送などのあらゆる非正規の仕事でつないでいました。

長時間労働の疲労に月12万のローン返済の負担、非正規の綱渡りのような生活による不安から「ローンの返済が先か、または寿命が尽きるのが先か」と思い続ける日々。

そうした日々が続いたことから、「プロレス美術館」を開館できるのは月2日ほどが限界。とはいえ、開館日は慌ただしい日常を忘れさせてくれる大切な時間だったのです。

プロレス好き、さらには他ジャンルのマニアな方々が訪れ、普段の生活では出会うことが無い人との交流はとても楽しいひととき。自宅の一室を美術館にしたという珍しさもあり、テレビやラジオなどのメディアにも取り上げられました。

プロレス美術館が生きがいに

2025年の元旦には別室にプロレス文学室もオープン
文学室の壁には衝撃的な見出しの新聞記事が貼られている
文学室の壁には衝撃的な見出しの新聞記事が貼られている

60歳となった2024年、25年払いつづけたローンは無事に完済。今は年金を受け取りながら、週3日は介護施設の送迎のアルバイト、月に2日ほどはプロレス美術館を開館し、それ以外の日はプロレス美術館を通して知り合った人や地元の人たちとの交流に足を運ぶ日々を送っています。

さらには、今年はショッピングモールでの出張展示会も実施。昭和プロレスファン以外の方にも昭和プロレスの魅力を伝えることができ、まだまだ湯沢さんの美術館の夢は続いているのです。

アルバイト生活を続けていたことから、仕事では社会との繋がりを持てなかったと語る湯沢さん。しかし、プロレス美術館を通して様々な人たちと交流を持てたことで、社会のつながりをもてただけでなく、美術館の存在が自分の生きがいにもなったといいます。

ショッピングモールでの展示会には、老若男女問わず多くの人が訪れた
美術館には、開館日になると多くのお客さんが訪れる

サラリーマンを定年まで勤めた後、いざ老後になるとやることがない、生きがいが見つからないという声をよく聞きます。仕事一本で人生を送っていると、いざリタイアした後に、やりたいことはすぐに見つからないかもしれません。

湯沢さんのケースでいえば、人生の生きがいを見つけるために美術館を開館したわけではないものの、結果的には好きなことを貫き通したことで、生きがいを見出すことができました。

仕事やお金に苦労しても、自ら生きがいを作り上げた湯沢さんの人生は、これからの人生を歩む人々にとって大いに参考となると思っています。湯沢さんのストーリーを参考に、これからの人生でどんなことに情熱を注ぎたいか、どんな生きがいを見つけたいか、親子で話し合ってみませんか?

博物館に行ってみよう!

プロレス美術館

丹治 俊樹

丹治 俊樹

博物館ライター

博物館マニアであり、「知の冒険」主宰者。本業であるフリーエンジニアのかたわら、博物館ライターとして、珍スポ/遊郭跡/博物館/昭和レトロなど2000スポット以上を取材。テレビ、ラジオ、雑誌などのメディアに出演するほか、書籍の出版、講演会の開催なども行う。二郎全店制覇。著書に『世にも奇妙な博物館 〜未知と出会う55スポット』などがある。 ブログ「知の冒険」:https://chinobouken.com/

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